BLOG
投稿日:2021/11/04

クラシック音楽ってなんだろう? をもとめて – 「エリーゼのために」を社員が聴き比べてみた

「今日はなんで我々は招集されたんです? “エリーゼのために”を聴き比べるってことしか聞いてないんだけど…」

Hz「えっと、前に“私と音楽”というブログを書くために対談したんですが、そこでクラシック音楽の特徴って何か? ということが話題になったんです。そこでクラシックの楽しみ方の一つとして”一つの同じ題材でも演奏者によって全然違う”ということを紹介したのだけど、イマイチ伝わった気がしなくて…じゃ、これはみんなにも体験してもらわなきゃ! というのがキッカケですね。曲はみんな知ってそう、というのもあってこれにしました。」

「なるほどね。そういうことならあれこれ話すよりまずは聴いてみますかねー」

Hz「はい。ではまず一曲目から。ブログ用にはあとでSpotifyのプレイリストを公開しますね(WoO59による音楽性の検討)」

(1曲目)

Hz「曲の構造は大体理解していただけたかと思います。ちなみに、これが私の一番好きな演奏なんで最後にもう1回かけるかも。アリス=紗良・オット(wikipedia)の演奏です。“エリーゼのために”は基本的にはいわゆるロンド形式ってやつで、A→B→A→C→A、みたいな形で同じような主題が何回か出てきて、その間にいろんなパターンが差し込まれる。挿入句っていうのかな。テレテレテレレレレーっていうのがまあ基本的なフレーズで、第2フレーズみたいなのがあって、また戻ってきて、次はまた別のがあって、つなぎがあって、最初に戻ってきて終わる…」

渡井「ベートーヴェン繰り返すのが好きですよね」

Hz「好きというよりは、主題を繰り返すことが形式として定まっているんですよね。もちろん繰り返しの多い形式を選択したことに意図はあると思いますけれど」

「エリーゼ原曲がこうだったってこと?それともこれはエリーゼのロンド形式のアレンジ ってこと?」

Hz「これがオリジナルの曲なんですよ。形式っていうのは曲の構造をまとめたものと理解していただければいいです。他にソナタ形式とかソナタロンド形式とか三部形式、二部形式みたいのがあるんですが。あとは変奏曲形式ってのもありますけど、そのうちのロンド形式っていうやつを選んで使っているって感じです。作曲した時点でね。これに対してなんか感想あります?」

「なんか、普通のエリーゼって感じですね。あとは溜める、流す、テケテケテケ、っていうのがピアノの芸って感じだなと感じました、めっちゃ溜めるなーめっちゃ流すなーと」

Hz「私が好きなのはそこですね。左手と右手の芸みたいのもあるし、全体として音楽を止めたり流したりというのもあるし。楽譜に指定されているのは ritardando(リタルダンド) と a tempo (ア・テンポ)ぐらいなんですよね。これらは速さのコントロールに関わる記号で、 ritardando は少し遅くする、 a tempoは元のテンポで、という意味ですね。ちなみにこれが指定されている楽譜もあれば指定されてない楽譜もある」

「楽譜によって書かれている内容が違うってこと?」

Hz「そう、学術版では指定されてるように作ってるはず。学術版っていうのは ベートーヴェンがこう書いただろうと思われる、原典資料に沿って書かれた楽譜なんですが、私の手元には キエフ版という謎の版しかなくてですね…いま一番新しいのが多分、最近出たヘンレ版(wikipedia)っていうのがあってそれが一番学術的に頼るべきものだと思っています。“エリーゼのために”はもう本当にポピュラーな楽曲なので、楽譜の種類がいろいろありまして、その編集者によっていろいろ考え方が違うわけです。昔は編集者が味付けをするのがよいと思われていたようなのですが、今はむしろその作曲家の書いた楽譜がどんなものなのか再現して、味付けは演奏者に任せるべきでしょうっていうのが一般的。一般的 というか主流になりつつあるという感じかな? 学術版… ウアテクスト(Urtext) っていうのですけれど。原典版とも言いいますかね、現在ではこれが人気を博しつつあります。こういう無駄話もさし挟みつついきますかねー。ちなみに渡井さん何か思ったことあります?」

渡井「今の話からはズレるかもしないですけれど、よくあの声楽だとアリア歌う時にアクートというんですか、1番キメるところで歌手によってはすんげー伸ばしたりするじゃないですか? ピアノでもそういうクライマックス部分というのかな? 演奏者によってさっきあった“ため”だとかいろいろあったりするんですか?」

Hz「そうですね! まさに我が意を得たり、というかんじで、そういうところに着目して聞いていくのがいいと思います。 と さんはいかがですか?」

「これをもっと下手にしたのが自分が弾くやつという印象かな。初心者だから強弱とかリズムとか工夫して弾くなんてことは全くできなくて、とにかくつっかえずに通して弾けました! というときの完成形のイメージに近い。流れる感じにするとこうなるという。ある意味オーソドックスなバージョンなのかな?」

Hz「じゃあ次はエリー・ナイ(wikipedia)いってみましょう」

(2曲目)

Hz「というわけで、エリー・ナイでした。時代がちょっと違うっていうのもあるし、そもそも楽器が違うのよね」

渡井「ピアノっぽくないですよね」

Hz「結構びゃんびゃんした音が聞こえたと思うけど、これも一応ピアノの範疇ではあるはず。ただ、今みたいにそんなに響かないというか、そういう楽器だったと思う(※後に調べたところ、ベートーヴェンが晩年に自宅においていた楽器で、コンラート・グラーフが作ったものとされるものでした)」

「ギターみたいな音が」

Hz「何かはじいてる感ちょっとあったよね」

「髭のおっさんがスペイン語でバックで歌ってそうな感じ」

Hz「べべんべんべべん」

「オーラセニョリータ~」

Hz「ちなみにこの人はボン生まれなんですけど」

「8月15日」

Hz「…お盆ではない。今ツッコミにすごい時間かかった(笑)。ドイツのボン。ベートーヴェンが生まれた都市だね……それ以外に言うことないか」

渡井「(写真を見て)ギタリストにいそうな雰囲気」

Hz「男性じゃないんですよ、おばあちゃん(笑)1882年生まれ、1962年没ということで 結構初期のというか、録音が始まった時代をずっと生きてきたという感じかな?1920年ぐらいから録音を始めて、これは多分70歳代後半の演奏だと思いますけど」

渡井「1950年代の録音? 録音も良くなってますね」

Hz「戦後ではあると思います(※調べたところ1965年、ベートヴェンハウス=ボンで録音されていました)」

渡井「あえて今のピアノじゃなくてちょっと古いピアノを使ったわけですかね?」

Hz「いやーどうでしょう。それはわかんないな。意識的に古いピアノを使っているんじゃなくて、たぶんお気に入りがこういうピアノだったんでしょう、って思ってる(※違いました。意識して、というかもう歴史的録音をするぞという意欲満々で録られたものでしたね……SUGOI)」

「ピアノも音色いろいろありますよね。ダンスピアノとか」

Hz「響かせるための弦があるかとか、ピアノにもいろいろタイプがあるんですけど、これは録音がそもそもピアノの弦にめっちゃ近いとこでやっているんじゃないかな? っていう雰囲気はあるよね。録音はともかくとして、演奏どうでした?」

「うーん、情緒があるのかな。溜めが緩やかなのかな……?」

Hz「始めはめっちゃ機械的だなーって思ったんだけど、だんだん機械じゃなくなってく みたいなそう言う雰囲気を感じていましたよ。なんも入れずにそのままいくのかなって思ったんだけど。……次行きますか」

(3曲目)

Hz「これは古いピアノでやってるんです。フォルテピアノっていう19世紀に造られたピアノ。古楽器奏者というか。ロナルド・ブラウティハム(wikipedia)。オランダ人ですね」

「古いと何がどう違うんです?」

Hz「古いと響き方が違いますね。張力が違う。冶金が進んでいかないとピアノの弦に張力を持たせることができないんですよ。昔のピアノって木製だから張力をそんなに支えられなくて。もう一つはアクション(注:鍵盤からハンマーをつなぐ構造)っていう、当て方、叩き方が今とは違うんですよね。昔は金属で叩くとか色々しているんですけど、今のピアノはフェルトのハンマーで叩いて音を出すから、響かせる、止めるということが容易にできる。昔の楽器はその衝撃をコントロールする技術はないと考えていいんじゃないかな?ピアノのさらに前のチェンバロは弦を”はじく”ことで音を出していたのだけど、フォルテピアノになって”はじく”のではなく”叩く”ことで音を出すって構造、アクションが発明された。クリストフォリっていう人がしたんですけども、このあたりは浜松楽器博物館ってところに行くとアクションの様子が比較できますよ。実は以前動画を撮ってきたんで後でGoogleフォトにでもあげておきますかね」

「見たい」

Hz「じゃあそれはあとであげるとして…(Googleフォト:ピアノのアクション)演奏としてはどうでした? 話しすぎたから印象薄れているんじゃ…」

渡井「演奏としては一番好きですね」

Hz「どういうところがですか」

渡井「どういうところでしょうね。なんか出だしからしっくり来る感じ。なんででしょうね ちょっと分かんないな」

Hz「私は後半の流れが好きですね。デッデッデッデッデッデからの」

渡井「情緒的な感じがしますね」

Hz「たしかに情緒的な感じですね。結構和声感を大事にしていて、左手の細かい技をやっているなーっていうのが見えて好きですね」

「技??」

Hz「第三音(音楽の調性、長調とか短調を決める音という趣旨の発言)を強調するとか、和声の中のどの音をちょっと出してあげるかみたいなコントロールもしていて、そういうところが人工的になり過ぎちゃうと音楽として成立しなくなっちゃうんですが、音楽として成立する範囲で、こうこうこういうところなんだよ!っていう意思を持っている感じがして好きですね。ちなみにこのプレイリストは基本的に私の琴線に触れたものしかないんでそもそもかなりのバイアスがかかってる事はご承知おきください…他になんかあります?」

「素直なエリーゼだったなっていう感じだけど、今までの2曲に比べるとちょっとせっかちっぽい印象が」

Hz「この再生時間2分39秒だったんですけれど、さっきのやつは3分、その前のが3分30秒。圧倒的に早いですよね」

「あと、左手が非常にねっとりしてるなって」

「全部がつながっているというか流れるというか」

「丁寧に押しているというか…とてもねっとり」

「しなる棒を常に振っているような感じ。うにゅうにゅってずっと続いてる…」

「例えば薬指を離してから中指を押すんじゃなくて薬指を押して中指をを押してから薬指を離すみたいな、そういうねっとりさです」

「そうそうそう」

Hz「丁寧に音を処理してますよね。じゃ次行きまーす」

(4曲目)

「何か一番現代的というか、コンテンポラリーを感じた。ジャズピアノみたいな」

Hz「今のは ルドルフ・ブッフビンダー(wikipedia)さんです」

渡井「ルドルフだっふんだー」

Hz「だっふんだではない」

「テケテケテケテケじゃなくてピロピロピロピロって聞こえますね」

Hz「なるほど。結構音のキレがあるよね。パカパカしてる。これはね、たぶん元にした楽譜の問題なんじゃないかな?ペダルの位置とかが結構違う楽譜があってですね…大きくパリ版、ロンドン版、なんとか版…出版されたものによって違うんですよね。ちなみにブッフビンダーはチェコ・スロバキア出身」

渡井「5歳でウィーン国立音楽大学に入学してますよ」

Hz「いまWikipedia を読んでますね? 大学に入学するというのはすごいな」

渡井「9歳で 最初の公演会を開いたらしい」

Hz「まあ世の中そういうすごい人はいるということで…どうですか? と さん」

「最初のところはなんか自分が弾くのと同じような感じだなーと思って聴いていたけど、途中から個性みたいなのが出てきて…でも何が個性なのか振り返ってもどう違うのかわからんなぁ」

Hz「なるほど。ということで次行きましょか。皆さまだんだんコンクールの審査員ぐらいの回数聴いてますね。そろそろこなれてきて低い点数を付けはじめる頃ですよ」

「慣れてきて比較ができるようになってくると”うーむ…これはイマイチだな”みたいな(笑)」

(5曲目)

Hz「これはトビアス・コッホ(wikipedia:en)。古楽器のやつですね。ドイツ人」

「反響のせいか音が豪華に感じましたが、いわゆるAパートは結構すごい好き。そこからちょくちょく小技挟み込んで来ますよね」

「小技というか好き勝手にやっている感じ」

「その度にドヤ顔でこっち見てきそうな」

「そうそう、弾いている本人はすごく楽しそうな感じ」

Hz「これも楽譜の一つの解釈ですね。ベートーヴェンの時代って古典派とロマン派の間なんですけど、楽譜に書いてあることをちゃんとやるっていう派閥とその楽譜に書いてあることってのは基本的なことで、書いてない部分も表現していいよっていう時代の狭間と言うか。まぁ、ロマン派においても楽譜は基本的に指標でしか無いんですがね。特にベートーヴェンは即興演奏家って言われていたところもあって、楽譜に書いてた通りをやってたかどうか分からないですよね、みたいな所もある。はじめの驚きポイントって言うとやっぱたんたんたん(Bパート)の3つの音だと思うんですけど。左手ミファソラーってところなんですけれど。これが……めっちゃ早いんだよなぁ……めっちゃ突っ込んで行ったのがね(笑)これは衝撃でした」

「ジャカジャカ! っていきなり」

Hz「そこから何が始まるんだ!? ってね。本当は ritardando(遅くしてゆく)が指定されているから、もう好き勝手っていう と さんの言葉はその通りだわなと。いまのは豪華で好き勝手な演奏だったということで…プロを捕まえてなんてことを言ってるんだ(笑)次行きましょうか。」

(6曲目)

Hz「どうですか?」

「つらそう」

Hz「悲痛な感じってことかね?」

「途中に“台風が来るぞ!”ってところがあるじゃないですか(Cパート)。これから台風が来るぞと身構えていたのに、”あれ?台風…来たの?”みたいな肩透かしを食らった感じ。“台風だー!”って弾きそうなところを、“台風……来てるね”みたいに弾くのってなかなか難しそう」

「なんていうのかな、そこになんかすごく孤独感を感じたんですよ。この演奏においては」

「なるほど」

「なんか…安アパート感?」

Hz「押し殺している感情?」

缶&Hz「……???」

「弾いてると気合い入れたくなる所を、ご近所迷惑になるからあんまり大きな音出しちゃいけないな…ってこと?」

Hz「安アパートってそういうことですか(笑)」

「ドア閉めるだけで音がめっちゃ響く みたいな。上から歩く音が聞こえてくる」 

「我慢しているというようなことか」

Hz「押さえつけているという内容の言語表現の違いだったのか(笑)」

「調度品があまりない部屋みたいな寂しさも」

Hz「風景の寂しさ? なんか破れ果てた感じ?」

「破れ果てた感じではない。なんだろう、モノが少ない質素な生活みたいな感じ」

Hz「それはニュートラル? 感情ではない、感情ではなくなんかこうニュートラル」

「感情かもしれない。心の風景みたいな」

Hz「心の風景。こころがスカスカ だよ~」

渡井「デ・キリコ みたいな世界観ですか」

「(デ・キリコ…???)」

Hz「通じないものはしょうがない(笑)キーワードはでたかな。渡井さんは?」

渡井「僕はあんまり好きじゃないかもしれないですね。ちょっとあのマゾっぽい感じが(笑)」

Hz「マゾは嫌いだと(笑)一応、巨匠ヴィルヘルム・ケンプ(wikipedia)でした。次に行きますか」

(7曲目)

Hz「はい、と言う訳でした。今のはアルフレート・ブレンデル(wikipedia)ですね。」

「なんだろう。パンチが来ると思って身構えていたら、フェイントかけられてワンテンポ遅れてやってくる感じ。全体的にテンポが遅いんだろうけど、さらにフェイントかけてくるのが絶妙な感じですね。歯に物が挟まったじれったさみたいな不思議な感じでしたね。流れる感じというか、流れながら途中でちょっとつっかえるというか、意識的に歩みを遅めているというか…でも流れてんだよなというフェイント」

「なぜか前半はすごく眠くなりました」

「全体的に確かにほわほわほわ…」

Hz「とろみがある」

「とろみっていい表現ですね。液体を飲もうとたらドゥルってしてコップについているみたいな 、そういう…とろみ感ですね、たしかに。その前のケンプのやつみたいに、盛り上げたいところを盛り上げてないの同じなんだけども」

Hz「まぁ盛り上がっていないとはいっても控えめなだけで盛り上がってるんですよね、この人は。激情ではないというだけで。もっと欲しいなって思わせることが目的の演奏してますよね」

「確かに。全体的に抑えているんだろうな」

Hz「それ自身が表現と化してると言うか。まぁ、というわけで今日はよく知られた“エリーゼのために”を使ってきたわけですけれども、全体としてどうでした?」

「個性はめっちゃ違うなって感じですね」

Hz「私がクラシックの楽しみ方の一つだと思っているやつですね。一つの題材に対していろんな人が表現したものを比べて、これは好き嫌いでもいいですし、どういう事が起こっているのか、どうして起こっているのか、それはどのように実現されているのか、みたいなものを探求していくっていうのは面白いんじゃないかな? と思います」

「曲を書いている側も何かをイメージしながら表現しているわけですしね」

Hz「うん、奏者側も何か楽譜に書かれてる以上のメッセージがあるんだろうと読み取れますね。例えば音がめっちゃ飛んでるところはちょっと溜めてほしいんだろうなみたいな想像をしながら見たりするわけですよ」

「そこの辺の解釈はやっぱり演奏する人によって違って、俺はこう考えるみたいなのを表現しているわけですよね」

Hz「単にって書いてあるだけでも、音が小さい大きいのピアノなのかそれとも張り詰めてほしいピアノなのか、そもそもピアノとフォルテっていうのは、“よわく”と“つよく”なので、必ずしも音の大きさは意味してないんですよ」

「音の大きさは意味してない?」

Hz「ほんとはね。ピアノやフォルテっていうのをどのような表現手法によって実現するかってのは実は奏者に委ねられているんです。硬い音にする柔らかい音にするみたいな考え方もある。いくつか昔のピアノも聴いてもらいましたけど、モダンのピアノって結構音の幅、ダイナミックレンジがあるんですよ。大きい音が出せる方向にも進化したし、小さい音でも響くようになった。けれど、昔のピアノっていうのはダイナミックレンジが結構狭かったから、今やっているような音の強さでの表現は昔はできなかったかもしれないみたいなこと考えていくと、いったいどういう表現がいいんだろう? みたいに思うわけです。どういう表現をベートーヴェンが目指していたのかっていう探求につながる。あと、ベートーヴェンが目指していたものとは別に奏者として何がやりたいかっていうのは別にあって、そのいくつもの視点からクラシックを聴くのも面白いじゃないかなっていう。イマイチ日本語がぱっとしないが(笑)渡井さん、缶さんどうでしたか?」

「演奏によって変わる部分と使っている楽器によって変わる部分がそれぞれあるよなと。当たり前か(笑)」

Hz「今回のはフォルテピアノとモダンピアノでは明確な違いがあったけれど、もっと細かく見ていくと、メーカーとか調律師の考え方とか、あるいは録音環境とかもありますね。めっちゃ響いてくるよみたいな場所、たとえばコンサートホールとか、あるいはスタジオで録音しているとか それとも LIVEで録音したみたいに色々あるわけですね。そういうところも違いにはなるね」

「好き嫌いはいろいろあるけど、意外と全然好きじゃないやつで印象に残ったりするなって言うのがおもしろい。嫌いとかじゃなくて、寂しかったな…とケンプさんの演奏の記憶が強力に残る」

Hz「その意味では成功しているのかもしれない。表現方法としては」

「アート性の高い映画を見た後みたいな」

Hz「ちょっと意味はわからないけど、なんか印象に残っちゃったなっていうあれですかね。渡井さんどうぞ」

渡井「結局、全部聞いて、三つ目がやっぱり良かったのかなって感じですね。そこは全然変わらないですね」

Hz「ブラウティハムですね」 

渡井「ねっとりしてたっていう」

Hz「じゃ、ブラウティハムのいろんな演奏を聞いてみて他の演奏はどうなのか比べてみるのも面白いかもしれませんね」

渡井「そもそも…実はあまりベートーヴェンが好きじゃないという(笑)」

Hz「あー、ベートーヴェンがが好きじゃない人は世の中に結構いますからね。嫌いですか?」

渡井「苦手ですね。苦手」

Hz「なるほどね。じゃ次は何か別の曲でやってみましょうか。渡井さんは最近の曲のほうが好きそうだもんな」

渡井「なんだろう、ベートーヴェンてこう、ブロックを一個一個が積み重ねていく感じじゃないですか?それが疲れるんですよね」

Hz「というわけで、ベートーヴェンが苦手ということで話がまとまりました」

渡井「いいのか?それで終わって(笑)」

「“エリーゼのために”はなじみがあると言うか。僕が通っていた小中学校の中のチャイムが時間ごとに違うのが流れてたんですけど、一番最初の登校時間が“エリーゼのために”だったんですよね」

Hz「たしかにうちの小学校でもお掃除の時間にモーツァルトの交響曲がかけられてて、モーツァルトの交響曲を聴くとお掃除したい身体にされてしまった……や~良くないと思いますよ ああいうの(笑)」

「みんな コロブチカを聴くとブロックを積み上げたくなる」

Hz「テトリス(笑)音楽って行動もそうだし感情にも訴えかけますよね。なんらかの記憶を呼び起こすとか」

「それはあるかも知れん。覚えているというか体が覚えているというか、何か知らないけど何か思い出させる。さて、今日のはどう読み物としてまとめるか……まとまるかな? 試しにやってみましょうかね」

Hz「ま、そんな感じでお願いします。今日はお付き合いいただきありがとうございました」