BLOG
投稿日:2021/09/03

共有する価値観について話す会(第二回:合理)

Z
「じゃ、はじめますかねー。第一回に引き続き、今回、合理というテーマで共通する価値観の会を企画した理由っていうのは、アカデメイアではみんな心理的安全性とか、個人よりもむしろシステムに責任を求めるべきだみたいな視線が一致しているなと思っていて、なんでそう考えるようになったんだ? っていうのを掘って行きたいなというのがキッカケですね」


「合理ということだと、よくKさんと話をしている”手抜きは美徳”であるというのはありますよね。手抜きって言い方は誤解を生じやすいけれども、工夫すれば簡単にできるものを工夫しないで難しくやるとか時間かけてやるとか…無駄と言い換えられるかな? ともかく仕事ってのは見せるためにやるんじゃない、成果さえ出せれば過程はどうでもよくて、わざわざ仕事をしているふりをしなきゃいけないなんてバカバカしいなーというのがありますね」
 

Z
「そうそう。そういうのをいったい人生のどこらへんで考えるようになったんでしょう? っていうのを聞きたいなーと思ったんです」


「あぁ、なるほどね。それなら28歳で社会人経験がないまま新入社員として入った時ですかね。あのときはまだ事業が立ち上がってなくてやれることもなかったから、練習兼ねて別部門でやっていたホームページの電話営業していたんですよ。でも、それってそんなにやることがないから、定時になったら帰ってたんだけども、他の人達がまだ仕事しているのにもう帰るの?みたいなことを言われた事があった。で、特にやることもないのに周りの人が残ってるから、無理やりやることを作って残らなきゃいけないのか? と思ったのが最初かな。別に残ることを強要されたわけではないけれど、これまで何かをやっているふりをしなきゃいけないなんて経験がなかったから、社会には妙なルールがあるもんだなぁ…と思ったのを覚えていますね」

Z
「そのときにギャップに気付いただけで、価値観なり考え方としては、もっと前から無駄なことはやりたくないなっていうのはありましたよね?」


「うーん、無駄って難しくないです? 例えば夏休みの宿題が無駄かどうかは評価が難しいじゃないですか。もしかしたら将来なにかの役に立つかもしれないと考えることもできるわけで、今の時間軸だけで見てるから無駄だと思うだけなのかもしれない。で、新入社員の時も先輩との人間関係を良くするためとか色々考えたんだけども、そんな配慮の上で成り立つ人間関係なんて意味ねぇなー、やっぱり無駄だとの結論に(笑)」

Z
「合理性というのか無駄の排除ということで…待ってましたKさん」

K
「また唐突な…何を話せば?」

Z
「手抜きは美徳だよねみたいな価値観ってどこで生まれたものですかっていうのをまず話してもらいましょうか」

K
「あぁ、基本的には受け売りですよ(笑)そもそもプログラマーだと普通なんじゃないですか?たとえば…プログラムでも一番いいのはプログラムを書かないことですよね。書かずに解決するならそれが一番いいですよ。でも、書かないと解決しないから仕方なく書くわけです。で、書くとしても他の人が作ったやつがあるならそれを使った方がいいわけで…できる限り手抜きをしていったほうがいい」

Z
「うん確かに」

K
「ただ、あんまりそういう事ばかりやっていると、自分では何も作れなくなってしまうんで、そこは作る動機とのバランスがありますね。他に似たようなのはあるけれど、これは自分が作りたいとかだったら別に作ってもいいと思うんですけど、基本的に仕事で何かを作る場合だと、書かなくて済むんだったら書かない方がいいかな」

Z
「なるほど」

K
「仕組みを理解したいとか、新しい言語を覚えたいとかの時は元々あるものを再構築するといいと思うんですけど、この日までにここまで作らなきゃいけないなんてときは、プログラムを書かずに済むんだったら書かないほうがいいかなぁ」

Z
「それはそうだ」


「Zさんはどうです?合理」

Z
「めちゃくちゃ必要だと思ってますよ。私はいわゆるメーデー民(注:航空機事故調査を特集したドキュメンタリー番組シリーズのファン)でございまして…航空業界って安全への追求という点においてめっちゃ合理的でその改善のためのループを回す仕組みが整ってるんですよ。そもそも個人の責任を問わないぞと決めたところから始まってると思うんですけど、何か事故が起きた時にそれは仕組みが悪いと考える。もちろんヒューマンエラーとか人間の悪意とかそういうものの影響もあるんですが、そうじゃなくて仕組みでそれを防ごうとか解決しようっていう考え方が根底にあってそれが好きなんです。もう一つはファインマンの書いたチャレンジャー号事故報告書ですかね。当事者は責任回避ばかり考えていていたんだけど、ファインマンは事故の原因を組織文化に求めようとしていて、それをなくすにはどうしようっていうのを報告書に書いていたんです。わたし初めて読んだのは当時は高校生ぐらいかな? これってすごく先進的なものでいいなって思っていた」


「なるほどね。例えば何かしらの行動を決定する、意思決定をするには必ず理由とか原因があって、それはなんなのかっていうのを突き詰めていくのは大事だと思う。さっきの早く帰るの話も、やることがないからとか、雇用契約で定められている定時は何時までだからとか、帰るのをやめる義理はどこにもないとか、背景として複数の理由や原因があって、その上で私はこうしますこうしませんみたいな行動として表現されるわけで。単に他が残っているからお前も残れだと、そもそも理由が理解できないし、そういうのは意味がないと思う」

Z
「その辺が合理性なのかな? 以前私は仕事で事故ったじゃないですか。ここにいる人の多くはまだ入社していなくて知らないことだと思うんですけど、ミスって会社の Google ドライブの中身を全消ししてしまった。結局、その後でちゃんと元に戻せましたけど、あの時になんかこう、謎の許された感があった気がするんですよ」

K
「あぁ、ありましたね。私がスキー旅行に行ってる途中にいきなり舞い込んできたニュースだった気がする」


「なんだろうな、責任がどうのというよりも、なぜにそんなことが起こったのか? ということにしか興味がわかなかったなぁ。なんてことしてくれたんだ! 損害をどうするんだ! とかそういうのは微塵も思わなくて、どういう経路をたどるとそんな事象が発生するのだろうかみたいな方が先に来た。というかそれしか頭になかったな。だから、どういう意図で何をやって、結果何が起こって、現状はどうなっていて、どういう復旧を試してみて…と、一つずつ事実を確認して謎解きをしていった感じですかね?」

N
「アカデメイアはあくまでも起きている事象そのもの、何が起きているかということに焦点を当てて考えてますよね。それがアカデメイアの特徴かなと。それが世間一般で言われている所の合理性というところにつながっているのかなと。合理性といっても幅があるけれど、合理寄りといった感じ」


「何してくれとんじゃみたいな話になるのは、要するに不合理なわけですよね。さっきのZさんの航空業界の話でもありましたが、ある特定の個人にどうのこうのと言ってもどうにもならないんですよ。犯人探しをして犯人が見つかりました、適切に処罰しましょうなんてやっても、何か解決しますか?しないわけですよ。そもそも問題解決につながらないならそれって合理性がないよねっていう話」

Z
「アカデメイアってヒューマンエラーは起こるものだっていう前提が共有されてるじゃないですか。ヒューマンエラーはは注意すれば起こらないものだって一般には思われていると思うんだけどそんなことないというのが共通認識としてある気がする」


「そもそも事故なんて起こしたくて起こす人はいないでしょ?起こしたくはないけれど、でもなぜか事故を起こしてしまう。じゃあ一体何故起こるのか?どこに原因があるんだろう? それが大事なんじゃないかな」

N
「福知山線の事故とかもありましたよね。日本の鉄道は安全神話って言われるくらいの高いレベルなのにヒューマンエラーが起こり得ないわけじゃない。時刻遵守を大前提としたダイヤを組んで、安全性を犠牲にしてしまったって言うところがあったのかもしれない。」

Z
「あのときに問題になったのは懲罰みたいな問題で、あ、今その話の詳細に入るとややこしくなるので一旦置いておきますが、逆にその懲罰が出ないような文化を作るにはどうしたらいいんですかね今のままだと出そうにないけど」


「気合と根性で片付く問題だったら懲罰も効果はあると思いますけどね」

Z
「懲罰の効果って多くの場合平均への回帰を見てるだけ、つまり勘違いっていう説があってですね。懲罰によってできなかったのができるようになったっていうのはバイアスに過ぎないっていう話をどっかで読んだことがあるんですよ」


「悪いことしたやつは罰して再教育するという刑法の考え方も影響しているかも。この手の話は社会秩序を維持するために懲罰なり再教育をするという発想なんだけど、それがいったいどれだけ効果があるのか?というのはずっと議論があるところではあるよね」

Z
「秩序の維持繋がりだと、共有地(コモンズ)という概念があるんです。共有地を管理するためには共有地への参加を阻むなんらかの仕組みが必要だっていう考え方があって(オストロム:wikipedia )、ルールを守らなかった人に対する懲罰の仕組みが持続的に共有地を存続させるための条件の一つになってるんですよ。懲罰が必要っていうのは理論的に出てきたものというよりは観察によって出てきたものだと思ってるんですけど、ルール的には何かこう、おかしなことをしているとやられるぞっていう緊張感みたいなものはある程度必要なのかもしれないなーって思うところありますね。まぁ、心理安全の破壊とかハラスメントとかそういうのには懲罰があって然るべきだよねとは思うのですが」


「芋さんは何かあります?」


「アカデメイアのみなさんって、合理的というよりは不合理への危機感の方が強いのかなっていうような気がするんですよね。自分自身合理的に動けているかと言われれば全然そうじゃないんですが、それ以上にカルトめいた儀式というのかな?社歌を斉唱して意識を高めましょうみたいな。そういうの呪術的なのはなんとなく嫌だなと思う。効果はともかく正しいとされて習慣化しているみたいな」

Z
「はいはいはい」


「この会も”共有する価値観”なんて言い方をしているけれど”これこれこういう価値観をみんなで共有しましょう!”なんて設定するのは気持ち悪いよねって、以前Zさんと話をしたな。あと、共有する価値観があったとしても、みんながそうだそうだみたいになるのも気持ち悪い。だから僕が喋りすぎるのも何か違うかな?って思いつつもつい喋ってしまうんですけど…うん、喋らないようにしよう」

Z
「アカデメイアってもしかしてあんまり合理性の追求はしていなくて、改善はそんなに回ってないかもしれない。たとえば課題の共有とか個人の働き方とか、業務の効率や質に関わるところって、ちょっとずつ効率は良くなってるかもしれないけどそんなに大きな進歩はないと思う。このあたりは危機感があって、自分の行動を振り返ってみても組織としてもまだまだだなと思う」


「合理って、考え出すと突き詰め過ぎちゃうところもありますよね?」

Z
「はい。効率厨みたいなものかと思います」


「合理は効率厨と必ずしもイコールではないと思うんだけどどうなんだろう?たとえば会社はお金を稼ぐためのものです、では利益を最大化するためにはどうすればいいですか?固定費を下げて支出を抑えることが合理的です、っていうのは確かに筋は通ってるけど、そういう一本筋のものってなんか違う気もするんだよね」

Z
「とさんと話していてよく出てくる部分最適と全体最適って話に近いですかね?固定費を下げて利益を最大化するというのは会社という部分としては最適なんだけど、働いているみんなとか社会とか全体で考えると必ずしも最適ではないみたいな」


「全体最適というか組織って難しいよね。誰かが合理的に考えていたとしても、他の人が合理的ではなかったらあんまり意味はないし、かといって合理追求型人間だけが集まったらみんなハッピーになるか?というとそうでもないと思うから…筋の通らないことは嫌だけどもそれ以外は別に合理を追求しなくても構わないくらいがちょうどいいんじゃないかな?」

Z
「分かんないなー。じゃ、唐突に砂さんお願いします」


「もう少し、具体的にテーマを絞れませんか?先ほどからずっとふわっとしていて…」


「んー。じゃあ、アカデメイアなりそれ以外のところなりで働いていて、これは合理的だなとか不合理だなとか感じたことってありますか?」


「あんまり考えたことなかったですね。大抵のことは、他の人がやっているとか、これが当たり前、これが普通だみたいなことだけでも納得できちゃう」


「私はひねくれ者なので普通こうだよねとかそういうのが気持ち悪いんですけど、その辺は納得できちゃうんですね。オトナだ…」


「社会人とはこういうものだ、みたいのって結構ないです?」


「確かにあるかも。きっと砂さんは誰かから謎な許容しろという圧力を受けてこなかったんじゃないですかね?こういうのって価値観が大きく違う人と接点があると起こりやすいような気がしていて…たとえば昔居酒屋でバイトをしていた時に、いきなり後ろから蹴られて”お前なにやってるんだよ!”なんて言われたんですよね。不合理というより理解不能という感じでしたが、そういうことってありませんでした?」


「そうですね…大学生の頃とか、研究室に所属していた頃とか、そういう不合理を感じた事っていうのは全然なくって、仕事に就いてからも無いですね。それはそれでいいことですよね(笑)」


「まぁ、そんなわけわかんない経験なんかない方がいいわけではありますが」


「頑張って思い出そうとしていますが…あ、そうだ。些細なことでもいいですか?」

Z
「はいはいはいはい」


「僕は副業で統計学の個別指導もしているのですが、一回だけ初回の授業だけで終わってしまった事例があります。どうもお客さんは授業スタイルをちゃんと分かってなかったようで…最初の初回授業を受ける前にも事務方から伝達があったはずなんですけど、僕が教えているのは数学的な背景とか、なぜこういう数式になるのかちゃんと大事にする予備校なんですよね。ですけど、そういう説明をしていたら “そういう数学的背景とかはどうでもいいから”みたいな感じで途中で拒否されてしまって…全然話が合わなくてそのまま終わってしまったことがあったんですよ。でも、これ何がいけなかったのかとか正直よく分からなくて、授業でうまくいかなかった経験もこれまでその一回だけだったんですよね。不合理って言うか納得はしてないって言うか…世の中には色々な人がいるのは理解しているので、そういうお客さんもいるのか、みたいな感じで自分の中で終わったんですけど」

Z
「あー、そのお客さんはユーザーとして何か使えるところだけ知りたいみたいな感じだったんじゃないですかね?」


「そうですね。それこそ標本平均とかを計算するのは例えばエクセルでもパパッとできるから、数式は意味ないですよね、みたいな反応をされてしまって」


「なるほど。原因らしきものを突き詰めていくと色々ありそうですね。最初の入塾の説明の時にちゃんと塾の方針を説明ができていなかったのかもしれないし、あるいはそのお客さんのコミュ力がアレなだけなのかもしれない。コミュ力って表面上話をあわせることだけじゃなくて、自分の意図していることを適切に相手に伝えて相手に何かを変えてもらうとかそういうのも含まれるからなぁ」


「コミュ力の問題なのかはわかりませんが、そういえばお客さんの態度に引っかかる点はありましたね。自分が絶対に正しいみたいな態度の人だったんですよ。挙げ句の果てには”もしかして君ってアルバイトなの?” って言われてしまったんです」


「私がその人なら、絶対そんな言い方はしないな。それを言うことによって何か事態が改善しますかね?しないでしょ」

Z
「でも、そんな言われ方をしても砂さんは感情を動かさないことができるんですね。すごい」


「ふと思ったんですが、不合理だなと思うときってそこには感情を揺さぶられるものがあるんじゃないですかね?」

Z
「そもそも相手に期待していなければ不合理だと思うこともないと…。人ってなんだかんだと相手に期待しちゃってるんだと思うんですよね。自分との等質性みたいな前提があって、そこにギャップが生まれるとえらいこっちゃえらいこっちゃってなると思うんですけど」


「なるほど。確かに自分がもしそのお客さんだったらどうするかなって考え方をするってこと自体、相手に等質性を期待しているのかもしれないな。お客さんからすれば自分の言う事に従ってくれることを期待したのに従ってくれないからこいつはアルバイトに違いないみたいな」

Z
「そういうこと」


「ふと思ったのだけど、不合理だなと感じる時って感情的な相手の場合が多いのかも。さっきの居酒屋バイトの話だけど、彼は私のことがムカついたんでしょうね。その人は副店長という立場だったのだけど私は単なるフリーターで、蹴られたときには”こんな人でも副店長にになれるとはすごい世界だな”なんて思っていたから…日頃からそういう上から目線みたいな態度が透けていたのかもしれない」

Z
「相手からちゃんと論理的な説明があれば不合理と感じることは少なくなるんじゃないですかね?」


「それはそうだけれども、いきなり後ろから蹴られたらさすがに何?と思いますよね。その後の説明が仮にまともだとしても、それはその通りです、申し訳ないです、次からやらないようにします…なんてできないんじゃないかな。負の感情はどうしたって蓄積されてしまう」

N
「Sさんを呼び出します。不合理に対してSさんはいっぱいあるでしょう?」

S
「さっきの砂さんのお話を聞いて自分は精神が成熟してないだけかもとは思いましたが、以前の職場にいた”何でもできますやれます”って言ってそれを全部部下である自分たちに任せてくる上司ですかね。”できます”って言うのはいいんですが、自分たちには理由も言わないんですよ。自分の頭の中では何かが出来上がっているのかもしれないですけど、それも言わずにできますって。その割に自分は一切その仕事に直接手をつけることなく”じゃあよろしく私は帰るんで”と帰っていくのには不合理を感じた部分があったかな」

N
「すごいですね。思いつきで全部”できますできます”って言っているのかはわからないですけど」


「”できます”ってすごく難しいことですよ。”何でもできます”ほど根拠のない言葉はない。”自分がやります”なら、何があっても全部自分が巻き取れるんだったらいいのだけども」

S
「そうそう」

N
「営業的にはそう言いたくなる気持ちはわからないなわけじゃないけど”何でもできます”はないかなぁ…。これが得意なんですとか、こういうのができますとか、こういう実績がありますよっていうのが健全なやり方ですよね。ここまでならできるとか、こういう前提ならできるとか、その複数のオプションがあるはず」

S
「全部丸投げはさすがにきつかったですね。これやってこれやってこれやればできるからあとよろしくねだったらいいかもしれないけども、全く何もせずにあとよろしくだから…その人の頭の中でできることを外に出していないできるはできるとは言わない」

Z
「うう…耳が痛い。私がお願いした案件の時は優しかったって思います?」

S
「思いますよ、本当に(笑)あの時は”できます”って言っている本人が一切情報共有せず、”できる”という言葉しかない中で、どうやってやるのか他のメンバーが考えるという状況だったので。当時は四人チームだったんですけど、何でもできます上司はほぼいない、技術的に強い一人は体調不良がひどすぎて週2~3日ぐらいの出社だったので事実上の戦力外、残る二人の内、私は新参なんでできることも限られていて、色々しようとしてもやるのに時間はかかるんです。ある時その上司に呼ばれて”お前は仕事の時間が長すぎる。労基が入ったらやばい”みたいにいろいろ怒られて…この状況でそれを言われてもどうしようもないでしょ、改善なんてできないなんて不合理でした」

N
「なんかもうテンプレ通りのブラック環境ですね…」


「うーん、労基の前でいいことしようとするから?たぶん全部一貫してないのが問題なんじゃないかな」

S
「でも、その上司は対外的な人気はものすごくあったんです。あの人に言えば何でもやってもらえるんで…一貫して外には顔がいいから」

Z
「コンサルかオレオレ詐欺にそういう人がいる気がする」


「いやいや、コンサルは自分で血反吐を吐いてやるじゃないですか?メンタル病むくらいの激務だし」

Z
「血反吐履かなくなったコンサルですよ。コンサルの偉い人。俺も若い頃はそのくらいやっていたみたいな生き残り」


「なんだろうな。お客さんの前では何でも聞いてくれるいい人だし、労基の前では悪いことをしないいい人だし、ただ社内では通用していなかっただけの話で、そこももうちょっと上手くやっていればパーフェクトな人だったのかもしれない。もしかしたら昔は誰も指導してくれる人がいなかったけど俺は普通にそのくらいできたよみたいなのはあるかもしれないですね」

Z
「うーん、生存バイアスみたいなのはたぶんアカデミックとかでもかなりあるような気がしますね。これで生き残る人だけを残すみたいな所はありません?基本的に上にいる人はこういう環境でも残ってきた人たちだから、別にそのままでいいみたいな風土はありますよね。アカデミックは全体的に人気が下がってるから、それでいいのかっていう問題はあるんですけど…まぁそれは業界の人考えてもらうとして、じゃあ小さいおじさんの番になりましたがどうでしょう?」

小さいおじさん
「最近思うのは、大企業ってもやっぱり不合理な感じにはなっちゃってるなーって。なんか昭和の仕組みが残っちゃって時代にマッチしてないというかな。大企業もできた当初は合理的だったと思うから、その結果今の形になったと思うんですけど、ただやっぱり合理的であり続けるためには常にアップデートしてないとダメなんだなーっていう感じはしますね。日本の組織全般に、こうしようと思ってもなかなか変えられないっていうジレンマに陥ってるなって感じには見えますけど」

Z
「式年遷宮をしようぜ。みんな式年遷宮をするんや!」


「えぇ…会社の式年遷宮ってどうやるのさ?一回解体してもう一回別会社で再雇用?式年遷宮をしたら、あれあの人いないぞ?みたいなのがあるのか…」

Z
「それはそれでいいのかな?とりあえず式年遷宮の話はおいといて、何か新しいことやろうとしたときにチームBみたいなのを作って、そこでうまく成功させるみたいなやり方がないと難しいのかなって思う。たとえば窓際族だった人たちが新しい製品を生み出してみたいな、その組織の当たり前みたいなものに縛られない、当たり前から外れた人たちの力を生かすみたいな」

小さいおじさん
「日本って違うことがすごく苦手な民族というか、空気読めよっていうのが当たり前で、そこから外れると潰そうとする。特に江戸時代の関東地方にそういうのがあって、そういう人たちは淘汰されちゃったけど、遠い九州の方はちょっとぶっ飛んでる人とかの遺伝子が残っているなんて話をどっかで聞いたことがある」

Z
「遺伝子が云々って話はそうかもしれないけどそうじゃないかもしれない。というか、たかだか十代ぐらいで淘汰されますかね? ちょっと調べてもいいけど眉に唾をつけておきたい話だなぁ」


「とりあえずこんなところで。また文章に起こしますので修正のご協力をいただければ。ありがとうございました」