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投稿日:2021/06/18

古代ローマの属州と経営共和制の考察(前編)

アカデメイアの十五です。

アカデメイアでは社員が経営の主体となる「経営共和制」への移行を目指していますが、制度設計においては「歴史に学ぶ」という観点から共和制の発祥であるギリシア共和政やパクス・ロマーナへと続くローマ共和政を参考にしています。今回はその中からローマ共和政における「属州」をテーマとして前後編に分けて書いてみたいと思います。

属州の成り立ちと属州統治

属州(provincia)とは、古代ローマにおける海外領土を意味します。ローマはもともとイタリア半島における都市国家の一つでしたが、制圧した他の都市国家や部族を同盟関係に組み入れるという方法によって勢力を拡大し、イタリア半島を統一します(前272年)。プロウィンキアは当初、元老院が政務官(magistratus)に与えた命令権(imperium)の及ぶ範囲という意味でしたが、ローマがイタリア半島外にも支配領域を広げていくに従ってローマが支配する海外領土の意味へと変わっていきました。

共和政ローマは王政を打倒して成立したという経緯があることから独裁を阻止するための分権を採用していて、軍事や行政といった政治の中枢を担う役職は、元老院が対等な権限をもつ複数名の政務官を任命して担当させていました。属州においても当初は2名の法務官(praetor)がその統治を行ってきましたが、次第に執政官経験者(proconsul)や法務官経験者(propraetor)を単独で属州総督に任命するようになりました。その後スッラ(前138年-前78年)の時代に法務官がローマの司法を担当する役職として位置づけられたことで、属州総督はプロコンスルやプロプラエトルが単独で統治する制度が確立することになります。

属州総督は徴税、裁判、軍による治安維持といった属州の統治全般を担う大きな権限を持っていました。こうした権限を背景に属州総督は次第に属州民を搾取して私財を蓄えるようになります。とりわけ騎士階級(equites)の徴税請負人(publicani)を利用した徴税業務委託システムの影響は大きく、属州総督はローマに納める以上の金額を徴税請負人から得ることによって、徴税請負人は属州民への貸し付けに対する利子の名目で請負額以上の取り立てを行うことによって属州民を搾取し、私財を蓄えた者たちはローマにおいて大きな発言力を持つ資本家層を形成することにつながります。また、ローマには自らを奴隷として売ることで借金を返済する債務奴隷の制度があったことから、苛烈な徴収が行われた属州では属州民の多くが奴隷となって人口が大きく減るということも起こりました。

ローマの拡大と属州総督

属州総督の主な任務として反乱の鎮圧や異民族討伐がありましたが、内乱の一世紀には治安上の必要から1年の任期が延長されることも多く、中には数年にわたる戦争を経てローマの支配領域拡大に貢献するとともにローマでの名声を高めていく者も現れました。この時期に大きな力を持ったマリウス、スッラ、カエサルはいずれも法務官選挙に勝ち、翌年プロプラエトル資格で属州総督となって財を成し、様々な内乱や異民族討伐で活躍してローマでの人気を高め、後に執政官になるというキャリアをたどっています。そしてこのような属州総督の強大化が後に共和政のシステムを大きく揺るがすことになります。

前49年、カエサルはガリア戦争に勝利してガリア全土をローマの属州とすることに成功しましたが、ポンペイウスをはじめとする元老院派はカエサルの強大な力を恐れてガリア総督解任と即時帰国を命令する緊急の布告(Senātūs cōnsultum ultimum)を出します。しかしカエサルはこれを拒絶、ガリア戦争を勝ち抜いた精鋭を率いて「賽は投げられた」で有名なルビコン川渡河を行ってローマを占拠、数年にわたる内戦に勝利して終身独裁官となり共和政の中心であった元老院は大きく弱体化することになりました。

共和政の終焉と帝政ローマ

終身独裁官となったカエサルは徴税請負人の廃止など様々な改革を行いますが、ブルートゥスら元老院派に暗殺されて元老院中心の共和政が復活、ほどなく第二回三頭政治を経てアウグストゥスによる元首政(Principatus)の時代を迎えます(前27年)。
実質的な皇帝として権力を掌握したアウグストゥスは属州統治のあり方を大きく変えました。まず、属州を大きく2つにわけ、比較的治安が安定している地域は元老院が総督を任命する元老院属州、辺境の治安が不安定な地域を皇帝が代官を任命する皇帝属州として統治することとしました。そして新たにローマの支配地となったアエギュプトス(現在のエジプト)を皇帝の私領と位置づけて直接皇帝が統治し、皇帝の資産を莫大なものとする一方で、肥沃なナイル川デルタ地帯で生産された穀物はローマ人の生活を支えることになります。

こうした様々な施策によって次第に属州は繁栄しましたが、それにともなって相対的にローマの地位は低下し、従来のローマによる属州支配という関係が現実に即したものではなくなります。212年、カラカラ帝はアントニヌス勅令を発布、奴隷と降伏者を除く全ての自由民にローマ市民権が付与されたことで、形式的にはローマ人が属州を通じて異民族を支配するのではなく、様々な民族からなる一つのローマ帝国として位置づけられることになりました。しかしその後ローマ帝国は様々な要因によって3世紀の危機と呼ばれる混沌とした時代に入り、混乱はディオクレティアヌス帝による四分統治制(テトラルキア)の成立(293年)まで続くことになります。

後編に続く

<参考文献>

以下、ローマ共和政や属州について調べる中で参考にした書籍を紹介します。

・ROMA[ローマ]

エンターテインメントとして素晴らしい。共和政から帝政への移行期についておおまかなイメージをつかむことができます。飛ぶ鳥を落とす勢いのカエサルを中心としてポンペイウスやキケロは一世代前の人といった位置づけ。特にキケロは自己愛が強い小者感あふれる人物に描かれているので…あくまでもエンターテインメントとして楽しんでいただければ。

・ローマ帝国 誕生・絶頂・滅亡の地図 (ナショナル ジオグラフィック別冊)

タイトルにはローマ帝国とありますが、都市国家ローマの誕生、共和政、帝政、東西分裂と古代ローマを網羅しています。世界史資料集を見てワクワクする人にはオススメです。

・SPQR ローマ帝国史I,II

Iは共和政、IIは帝政を対象としています。研究者が書いた本なので上に紹介した2つに比べて段違いにとっつきづらいです。そして翻訳本あるあるの読みづらさ…この手の読み物に免疫がないと辛いかもしれません。著者はキケロ研究者なんでしょうか?随所に顔を出してきて著者のキケロ愛を感じることができます。私もキケロは好きですが…それにしても登場しすぎです。