私と音楽(ヴァイオリニストHz氏の場合1)
(以下のインタビューはインタビュアーの乱心を含んでいます)
λ
「突然ですがブログネタが尽きたので弊社所属ヴァイオリニストHzさん、音楽について語るにゃ」
Hz
「えっ」
λ
「まずどんな音楽を中心に活動を?」
Hz
「本当に唐突ですね…クラシックを中心にやっています」
「本当は毎日弾きたいんですが発表機会がないと練習も疎かになりがちですね…」
λ
「クラシックを始めたのはどういう経緯で?」
Hz
「最初からクラシックでした。最初に触れたのがクラシックでヴァイオリンだったので、それ以来ですね(当時2歳とか)。ちょっと弾ける、と言えるのはヴァイオリンくらいで、それ以外の楽器は動きを覚える系になってしまっています」
λ
「動きを覚える系、ですか?」
Hz
「玄関を閉めたら鍵を閉めるように、手が自動で動くようなのです。その逆が動きをアクティブにコントロールしている状態。途中で動きを間違えても復帰できるかできないか、でしょうか…
動きを覚える系は多分手が前の動きからの差分で覚えているのか、途中で頭が真っ白になって分からなくなりがちですね(玄関の鍵を閉めたか忘れる現象に似ている)」
λ
「シーケンス制御とフィードバック制御の関係(注:洗濯機のような順番通りの一本道の制御とエアコンのように状況に応じて軌道修正を行っていく制御)みたいなものでしょうか?」
Hz
「そんな感じです。でもヴァイオリンも高速な部分はある程度動きを覚える系になっています。一般的に思われるよりはだいぶ速い動きまで脳で追えてると思いますが。
ヴァイオリンは単音なのもあってそういうことができるんですかね。私は和声の楽器を動きを覚えずに扱えていないので、ギターやピアノなどの和声が出せる楽器への憧れはあります。いずれはある程度弾けるようになりたいですね。ある程度というのは具体的には、楽譜とかオーケストラのスコアとかから特徴的な部分を取り出してピアノで弾けるようになりたいっていうレベルです。
ただ、新しい楽器をやるには当然練習が必要です。
一つの楽器でさえ大変なのに新しいのに手を出して大丈夫なのか?とも思います。
ただヴァイオリンも、練習のきつさに何度も辞めようと思ったりしたけど、なんだかんだで今も続けています。それはきっとそれだけの価値ある何かがあったからだと思うんですが、自分の場合それが何だったかというと、やっぱりドヤ顔したいからというのがあるんだと思います」
λ
「ドヤ顔」
Hz
「自分にとって、音楽をやる原動力とは何か?と考えたとき、音楽観、楽譜上ではノイズとして落とされるような要素を他人と共有したいというのがあると思うんです。
たとえばみんなが知っている(ということになっている)曲に対して、新しい視点を示してこういうのもあるんだよとか、逆に知らない曲を通じて驚きを与えたりとかがしたいのかな、と。
食わず嫌い的にこんなのつまんねーよと思ってる人を変えられたら嬉しいですね。
本当につまらないんですかそれは?ということを問うていきたい。
多分これは音楽に限った話ではなく、自分の生き方そのものの話でもあるんでしょうね」
λ
「ありがとうございます。次回はクラシックの楽しさについて伺いたいと思いますにゃ」
Hz
「なんなんその語尾」
(続く)