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投稿日:2021/08/27

歴史をひもとく技術02-地球の年齢はどのように明らかになったか

古代ギリシアにおいて、我々の住むこの世界とは何か、と言う事はよく議論の対象となっていた。この世界はずっと存在するのか、それともなんらかの激変によって変わってしまうのか。古代人たちは山に化石が産したりするのを見つけていたが、なんらかの変動の証拠と言えるのはそれだけだった。ルクレティウスやプラトンが世界の誕生という概念を提供した。特にルクレティウスは「大地の創造」について述べており、これは新たな視点だった。

 

古代ギリシアの説にせよ、聖書の記述にせよ、その後の記述(例えば14世紀のビュリダンやレオナルドなど)にせよ、そしてこれから取り上げることになるウェゲナーにせよ、その説は確たるものではない。傍証、いくらかの状況証拠はあるものの、演繹的な議論ではなかった。人々は、科学が広大な地球における様々の情報を入手し、統合するまでは、(哲学者や科学者でさえ、)どの説を「信じる」のか、という論争をなんと1960年代まで続けることになるのである(それ以降も受け入れるか受け入れないかは議論がものすごく揺れたようだ)。

 

ともかく、大地にはじまりがあるだろう、と人々に意識させることになったのは聖書の存在だった。聖書によって人々が信じていたことというのは、6000年か8000年か前に世界が始まったということだった。
大地の始まりに似たサブトピックとしては、海の移動と山の形成があった。山は火山がまさにいつの時代も形成され続け、海の痕跡は山を含む堆積岩中に化石証拠として見つかるのだった(貝殻化石が見つかるからと言って、それが海かどうかは議論の余地はある。むしろ多くの人にとっては海の移動なんてのは眉唾……むしろ化石が生物起源であるかどうかも含めて議論が必要だった)。このテーマは、1968年ごろに地球科学の基礎理論であるプレートテクトニクスが提案されるまで(された後もすこし)続くことになるのである。

 

さて、歴史に地球史観自体の発展を見るのも面白いことではあるが、我々は中世以降の人々が地球の年齢にどうアプローチしたか、という話をしていこう。
1669年にニコラウス・ステノは、『固体中に自然に含まれる固体についての序論』(当時化石を表す言葉は一般的でなかった)を出版し、化石とそれが存在する地層を結びつけた。そして地層とその古環境を結びつけ、また地層の堆積原理(地層は水平に、新しいものが上に堆積する!)を仮説した。ものすごい慧眼である。ここに、地球の歴史を統一的に議論する可能性がひらかれた。

Steno, De solido intra solidum naturaliter contento dissertationis Prodromus (Firenze, ex Typographia sub signo Stellae, 1667)

(つづく)